環境を変えてみての気付き 2023-Q1
最近のぼくが感じていることなどを書いておく。
北海道期
東京期
地方転々期
ここではためしに、上記のようにラベリングして整理してみよう。
北海道期においては「それしか知らない」という状況が多かった。実に 24 歳まで北海道にしか住んだことがなく、家族像についても生まれ育った大和田家のことしかまともに知らない。幸い、北海道内の特定の地域にずっと留まるのではなく北海道内をあちこち転々としていたため「地域ごとの差異」については認識があった。
10 代後半を釧路高専の寮で過ごしたことでカジュアルにインターネットに触れるようになり、ウェブを通じて多様な情報に触れるようになっていった。成人する頃には Google が存在していたし、北海道の外の情報を仕入れるハードルも低くなっていた。そうして 22 歳くらいで Web 2.0 の盛り上がりに興奮し、とても自然な流れで「東京に行くぞ」と確信するようになる。 東京期。24 歳から 37 歳までを生きた。とても刺激的で楽しかった。あふれでるバイタリティをふりまわして全力でぶつかっていけるお仕事、プロジェクト、コミュニティがあった。特に 20 代はワーカホリック気味に活動していた。当時の自分の感覚には「自立して生きていけることがわかってうれしい」があったと思う。東京で会える人はたくさんいて、食べたいものはだいたい食べられるくらいに飲食店の幅があって、自分の手はなんにでも届いてしまうような全能感に似た感覚があったように思う。 地方転々期。ノリで決めたけれど、那須塩原市に住んでみて本当によかった。ぼく以上に妻が大きく影響を受けていたのもおもしろかった。妻はずっと東京にいた人なので、初めての「東京の外での暮らし」となり、たしかにぼく以上に大きな変化を受け入れていたのだろう。那須塩原市での体験があまりにもよかったので、まだ見ぬ楽しい未来を求めて今度は松本市にやってきた。ここまでの期を「地方→大都会→地方」と見れば、揺り戻しと捉えることもできるだろう。 北海道期
成人するまで、外の世界のことはほとんど認知していなかったと思う
そもそも「選択」についてあまり意識が向いていない
「東京に行く」と決めたあたりが「選択」の芽生え
東京期
なんでもある、なんでも手に入る、みたいな感覚を抱きやすかった
「自分の意思で選択するのが大事」と、肩に力が入っていた
地方転々期
那須塩原市にしろ松本市にしろ、ある程度の下調べはするものの「よさそうなので、あとは住んでみて」というノリ 「選択」についての握りを少し弱めていて、流れに身を任せる、場に委ねる、ってモードが増えてきた
食べ物の「旬」なんかにも目が向くようになる
「自分が食べたいもの」というよりも「そのときにその場所でおいしいもの」を選ぶような?
年齢的なものもあるのだろうけれど、大都会とそれ以外では「選択肢」がずいぶんと違うので、その性質の違いに連動して自分も変わってきた、と言えるかもしれない。